幾つになっても惑ってばかり

日々思ったこと、本や映画の感想やアニメなど趣味の話を脈絡なく綴っています

パーティーが終わって、中年が始まる

みりん

タイトルに惹かれて読んでみました。



定職に就かず、家族を持たず、
シェアハウスで面白楽しく
暮らしていた著者。
先のことはあまり考えずこのまま
何とかなるだろうと思っていたが、
40代半ばになって中年クライシスに!?



わかるー!!


私も40代半ばから50代の初めにかけて
徐々に気持ちが下降気味になってきて
同様な感じになっていましたもん。





著者の前置きがまた心掴まれるというか。



ずっと、何も背負わない
自由な状態でいたかった。
四十代半ばになった今、

つかまってしまったな、
という感覚がある。
何に?
世間に、だろうか
それとも、老いに、だろうか。
何をするにも少しずつ足取りが
重くなっていて、昔のように自由に動けなく
なってきているのを感じる。



つかまってしまった、という言葉が
身につまされます。



年をとるとふらふらとした状態でいるのが
難しくなってくる原因は、
体力の衰えのせいももちろんあるけれど、
年下の人間が世界に増えたということが
一番大きい感じがする。


自分がまだ若くて周りが
年上の人間ばかりの頃は
約束をドタキャンしたり

メールの返信をいつまでも
返さなかったりしていても、

まあ若いから、というので
大目に見られるところがあったと思う。
しかし、周りが年下の人間ばかりの中で、
年上のおっさんが、いい加減なこと
ばかりするのは、ちょっとキツい。
痛々しい。



でも、痛々しくなっても絶対に
自分のやり方を変えない人も割といるのに、
こういうことに気付けるのはすごいと思う。



最近は本を読んでも音楽を聴いても
旅行に行ってもそんなに楽しく
なくなってしまった。
楽しさをあまり感じなくなってしまったら、
何を頼りに生きていけばいいのだろう。
正直に言って、パーティーが終わったあとの
残りの人生の長さにひるんでいる。



タイトル回収です。
まさに少し前の私がこの状態でした。
私の場合は病気になって物理的に
活を入れられて、考え方を強制修正しました。


今は人生100年時代。
ということは50代はまだ折り返し。


若いころは、もし子どもが生まれたら
こう育てようとか、こんな風には育てまい
とかあれこれ想像していました。
でももし本当に子どもがいたとしたら
絶対私の思った通りになんて育ってないと思う。


誰かを育てたことはないけれど、
ならば今後の50年は
自分が育ててみたかったように
自分を育ててみる
のも面白そうじゃないかと。


自分なら迷惑かからないし、私自身だって
絶対思った通りになんてならないだろうけど
いい暇つぶしになるじゃないですか。


「人生は死ぬまでの壮大な暇つぶし」


みたいなこと、誰かが言ってたし。



年をとると、だんだんと生き方が
時代に合わなくなってくる、というのは、
上の世代を見て知っていたつもりだった。
だけど、いざそれが自分にやってくると、
やはり戸惑う。



前述の著者の文章にもありましたが、
ほんと当たり前のことなんだけど長く生きれば
年下の人間が増えるということなんですよね。
自分が中心の時代が過ぎて
次第に下の世代が中心になっていく。
時代の主役から脇役へ。切ない。


それにしてもこの著者のphaさんは
男性なのにすごい赤裸々に己の弱音を
綴ってくれています。


少し話が逸れますが、うちの両親も高齢で
特に父親が毎日YouTubeを見て外に出ず
引きこもってるんです。
なので、老年に希望がもてて参考になる
男性エッセイ本をプレゼントしたいと
本屋で見てみるんですが、女性のは
たくさんあるんです。
退職して一人でお金がわずかでも
楽しく生きていけるよ、みたいな本が。


対して、男性の書く老年エッセイ本は
今まで自分はこんな経歴で生きてきて
いま現在も(医者等の)仕事をしている、
みたいなものが多いんです。


要は立派すぎるんです。
俺は80過ぎて無職で引きこもりだけど
こうやって工夫して生きてるよー
みたいな本がない。
そういった「弱み」みたいなことは
まずさらさない。


なのでphaさんは男性だけど
正直に弱みをさらしていて、すごい新鮮。
こんな男性の等身大の本音エッセイ待ってた!
すごく人間らしくて良いと思います。


思いのほか感想が長くなってしまいました。
でもまだまだ、なるほどと思ったり
共感するところがあるので続きは次回に。